Posha

2020年12月24日

先祖と富士山の愛 母と共に受け取る祝福

最終更新: 2021年3月4日

クリスマスの今日は、母の母である祖母の生まれ故郷の西伊豆へ。コバルトブルーの深海と富士山のコンビネーションが最高に美しい、絶景の場所にて。祝福を受け取っています。

ここは、先日お参りした青山霊園に眠る曾祖父母の最も古いルーツです。


 
今回、母を始めて連れて来ました。
 
3年がかりで何度か訪れ、戸籍を辿り、お墓を探し、図書館で調べて来ました。

母方の曾祖父は西伊豆への土肥、曾祖母は井田の出身です。


 
どちらも、富士山が見える駿河湾沿いの小さな静かな村。

最初は井田の先祖のお墓参りへ。ここは祖母の母方です。

祖母の母の父は誰もが貧しい時代にカナダへいき、この小さな漁村から精麦会社を起こしました。
 
殆どの人が出稼ぎにアメリカやカナダへ移住したと村史にもあります。
 
一族は関東大震災で松田惣領へ移り、その後、伊勢原のローカル企業として地域に根ざし、今も発展しています。

墓石に刻まれた先祖の名前は宝暦にまで遡ることが出来ます。社史などを見ても、先祖を大事にしている方々だとすぐにわかります。本当にありがたいことと思います。
 
母も感動していました。

母にとっては優しいおばあちゃん。小さな頃に可愛がって貰った記憶ばかりのようです。
 
カナダへいき、事業を始めたひいひいおじいさんはお父さん。母が生まれた年に同じ松田惣領で亡くなられているので、そこできっと母はひいおじいさんにだっこされてるいるはず、とエラゴン。
 
曽祖母も長女、祖母も母も私も、長女ラインです。

日本一の深海。駿河湾のコバルトブルーの海に浮かぶような富士山を仰ぎ見ることができる素晴らしい絶景の場所に母を連れて来れて幸せです。

松林を抜けて、真水の明神池にも行くことが出来ました。先祖たちが子どもの頃、必ず遊んだような光景の場所です。

井田の後は、ロシア船にも縁の深い、戸田から近い八木沢の小さな村へ。


 
ここは祖母の父方の出身地。
 
喜美枝おばあちゃんー私の祖母の生まれた場所と戸籍に書かれています。

祖母のことが大好きだった母、そして私も。涙が出ました。
 
今日は朝から特に、おばあちゃんがとても喜んでいるように感じます。

ひいおじいさんはこの地から出て、東京青山で事業を発展させました。男の子がいなくて、長女の祖母が跡取りでしたが、婿として養子に入った私の祖父と揉め事があったようで殆ど勘当同然となったため、祖母は跡継ぎ役を放棄して、親元を離れ、子どもたちを抱え、夫の郷里の山口へと遠く離れてしまいました。何があったのか詳しくは母たちはよく知りません。母たちは祖母を通じて行き来はあったのですが、祖母亡き後は自然に東京の実家からは遠ざかってしまいました。
 
母たちは東京の実家に対して、子ども心に引目を感じて育ったのだと思います。また自分の母を苦労をさせた父親である祖父をどこかで恨んできたと思います。けれど祖父も曾祖父も真面目で優しい人でした。

時代的にも、カルマ的にも、必要な体験。
 
進化のために霊的な成長をさせて頂いたのだと思う。
 
おばあちゃんは母たちに苦情や不平をほとんど言わなかったそう。お嬢様育ちの祖母でしたが、最後まで自分の中の大切なもの(ハートの光)を守って来たのだとおもう。

母もどんどん過去を許して手放している。


 
その姿を見て私たちも楽になる。
 
人間のドラマは終了〜
 
お疲れ様でした。そしてありがとう。

そして、今、祖母はきっとこの美しい伊豆の地のこともたくさん話したいはずです。祖父だって、曽祖父母も!

今、ようやくおばあちゃんと母と子どもたちと伊豆に里帰りすることが出来ました。

エラゴンや海斗がずっとサポートして運転してくれて、この先祖の流れをつないで来れています。

伊豆の美味しいものをいただきながら、青く輝く海と空と、雄大な富士山を堪能しています。

夕焼け時間は、天国のような光景にため息。
 
凍えるような冷たい風のなか、それでもずっと見ていたかった。

金色の水平線、トワイライトブルー。


 
アルクトゥルスの母船を思い出すような富士山の愛のバイブレーション。

宇宙の神父母よ。壮大な宇宙の愛へと帰還してゆく。

2年前、ここで荻久保監督と多絵さんのご結婚祝いの動画を録りました。
 
その2年後にまたおふたりにお会いして、東京上映のサポートを頂いたことにも何か不思議な巡り合わせを思います。

こんなに高い山と深い海とが一緒に見える場所は世界でも珍しいと思います。
 
今日もスペシャルで、幸せな1日でした。
 
全てにありがとうございます。

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