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Ayodhya



ヴァラナシを出て、いよいよ本貫地のアヨーディアへ✨ 私たちにとっての遠い遠い先祖の地。ずっと思い描いた憧れの場所でもあります。


アヨーディア駅について感動しました。

ラーマの聖地🌞

たくさんの巡礼者たちで賑やかです。


エラゴンも9年前に来たことがあるそうです。




アヨーディア駅に迎えが来ていました。チェックインを終えて、早速外に出た頃には夕暮れ近く。まっさきにコリアンパークへ向かいました、許黄玉王妃メモリアルがあります。

私の実父の系譜が許氏。

はるばる来ました。感激です。


私が数年前に調べていた頃には、許黄玉のことはあまり認知されていませんでした。

このようなモニュメントがあったことも知らなかった。

光の先祖たちがどんどん開示されていくのは嬉しいこと。


インドと加羅の国、その繋がりが開かれて繋がって、融合されていくにはたくさんの努力や尽力があったことでしょう。感謝でいっぱいです。




碑文にはこのように書かれています。


〜許女王の生誕地〜


韓国の古代史である三国遺事によると、加羅の国を創始したスロ王の妻、許女王はアヨーディヤの街で産まれたという。

許女王は、アヨーディヤの姫であった。

彼女の父アヨーディヤ王は、自らが受けた神の宣託に従い南韓国の地にある加羅の国へ、娘とスロ王と結婚させるために許王女を長き海上の旅に送り出した。


今日、許女王の子孫は600万人を超え、その中には金海金氏、許氏、仁川李氏などが含まれる。

彼女の有名な子孫としては、7世紀に初めて全韓国を統一した金庾信(キム・ユシン)将軍、現代の韓国大統領金大中(キム・デジュン)、金鍾泌(キム・ジョンピル)首相がいる。


歴史的な街アヨーディヤに、許女王の子孫たちからの心のこもった善意の象徴として、そしてインドと韓国間の古代からのつながりと、それぞれのこれからの発展の象徴として、この記念碑は建てられる。


2000年1月1日

加羅国中央王氏族



Birthplace of Queen Huh


According to Sam Kuk Yusa, an old history of Korea, Queen Huh, wife of King Suro who founded the ancient Karak kingdom, was born in the city of Ayodhya.

Queen Huh was a princess of the kingdom of Ayodhya. Her father, the King of Ayodhya, on receiving a divine revelation, sent her on a long sea journey to the Karak kingdom in

southern Korea to marry King Suro.


Today, Queen Huh's descendants number more than 6 million, including the Kim Hae Kim,Huh and Inchon Lee clans. Among her famous descendants are General Kim Yoo-shin who first unified the Korean kingdoms in the 7th century, as well as contemporary Korean President Kim Dae-jung and Prime Minister Kim Jong-pil.


This memorial has been erected in the historic city of Ayodhya with heart-felt goodwill by the descendants of Queen Huh as a symbol of the

ancient ties between India and Korea and their future development.


2000. 1. 1

Central Royal Clansmen of Karak, Korea

https://www.wikiwand.com/ja/許_(姓) 〜許氏族〜 許氏の淵源は遠く駕洛国首露王妃許黄玉に遡る。許皇后は本来インドの阿踰陀国の王女だったが、船に乗って今の慶南鎮海市運動沖合に至り、首露王の妻になったという。

ーーーーアヨーディヤーの名は「難攻不落の都城」を意味し、古代コーサラ国の初期の首都とされ、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷としても知られる。 この町を中心とした地域はかつて、アヨーディヤーの名をとって「アワド」という歴史的名称で呼ばれ、古来より数々の王朝がこの地を領して栄えた。 またタイの古都アユタヤ更にはインドネシアの古都ジョグジャカルタもアヨーディヤーの名に由来する。 〜Wikipedia より


今回、アヨーディアに来る前にタイのアユタヤにも行けています。


また、これまで調べたことでより深いこともわかって来ました。



インド史を整理すると、BC1000年にインドは十六王朝の時代となりカッシュ人を中心とする月神王朝とアラビア海の海商を中心とする日神王朝系に分かれていました。 BC1500 年頃~1200年頃、エブス人たちの海人は、レバノンのアルワドからインドのロータルに移住し、デリーを経てマガダ近くまで移動し、インド十六ヶ国時代、 コーサラ国、アンガ国などの日神王朝諸国になりました。日神系のなかにはアンガ、コーサラ、マツラなどの諸国がありましたが、アンガ国はソロモン王のタル シシ船の移民の地でありコーサラ国はフェニキアのアルワド人の植民市であり、マツラ国はアラビア海のメルッハ人の国家でした。釈迦は、コーサラ国のなかの 王族でした。駕洛国の王は、金首露で、王妃はアウド国の女【許氏】で、【許】がアウド国の別名コーサラを指します。皇統譜のなかの孝昭、孝安の実体は東表国、即ち駕洛国の王でした。




今回の旅で、タイのアユタヤ、コルカタ仏陀の骨から始まり、ブッダガヤ、ナーランダー、ヴァラナシ、サールナートという仏陀に関わり深い場所を辿れました。


マガダ国、カーシー国、コーサラ国を跨いで旅は進んでいます。


また仏陀はコーサラの釈迦族の出身と言われています。

A Buddhist text, the Majjhima Nikaya mentions Buddha as a Kosalan, which indicates that Kosala may have subjugated the Shakya clan, which the Buddha is traditionally believed to have belonged to.


仏教を加羅(伽耶)の国にもたらしたのは、アヨーディアの王族たちと言われています。

平家物語で有名な祇園精舎はアヨーディアから車で2時間くらいの場所にあります。


これに関しては、また書いていきたいと思います。


💫💫💫💫💫💫💫

興奮し過ぎたのか、アヨーディアにいた晩に発熱。風邪という感じではなく、なんか変でした。冷たい熱🧊そして一晩のうちに汗をかいて下がりました。劇的ライトボディ変容✨

宿泊したホテルが特殊で、テンプルもあり、占星術のお家だったことも霊的にボディに影響したのかも。霊気が…とにかく寒かった。


翌日は、もう食欲もあり、元気。なんだったのだろうというくらい。 エラゴンがゆっくりできるようにと、今日からは以前エラゴンが宿泊した高級ホテルを押さえてくれていました。


少し贅沢ですが…アヨーディアでゆっくり包まれます。

全てが心地いい。そして気持ちいい空間でゆっくり寝ました。

ルームサービスも取ってくれて、ホテルのボーイさんも素朴な笑顔、すごくいい。

素朴なアヨーディアのハートに癒されています。



元々、九州のお宮を巡っていて、埋もれて隠れている古代王朝の存在を知って行ったのです。紐解いていくと、子どもたちの父方ルーツである国東半島や宇佐と深く繋がっていきます。私には関係ないと思っていたけれど、自分の戸籍を紐解くと、私自身が許姓だった🤣

2年前に知ったばかり。私が4歳の頃に離婚した両親、母親は全く知らなかったそうです。


これはもう、自分の奥深いところで自分自身の霊統、血脈を、生命の衝動として辿っている

のだとわかりました。元パートナー藤原さんの故郷に導かれて暮らせたこと、ずっと調べて来たこと、その国東半島にエラゴンが来てくれたこと、インドに人一倍縁の深いエラゴンが私たちみんなをインドに誘ってくれたこと、全てが必然でした。


大きな大きな宇宙の意志を感じます。


私にとっては魂の巡礼の旅です。 幾度も浄化がありました。

よく思いますが、死ぬほど嬉しいという言葉は本当によく言い得ているなと。死ぬことの恐れも飛び越えて、自分の願いを生きるとき。

自分の願いを生きる時は死ぬほど怖いというのも事実。

なんか、今度のインドは前回よりもさらに深い旅を味わっているなと思います。


まだまだ始まったばかりのアヨーディア。楽しみます✨✨✨







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