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​チャンバー(Chamba)

ヒマーチャル

インドにおけるヒマラヤ山嶺の州・ヒマーチャルプラデーシュ州に、かつてチャンバという王国があった。

首都は、当初バルモウル(Bharmour)。

 

バルモウルはシヴァ神の所領であり “SHIVA BHUMI”「シヴァ神の土地」と呼ばれ、Pir-Panjal山脈とDhauladhar山脈の間に位置している。

土地には豊かな高山の牧草地が多く、シヴァ神を信仰するガッディ(Gaddi)と呼ばれる遊牧の羊飼い民族の、古来からの都となっている。

もともとガッディの土地という意味で、ガッデラン(Gadheran)という呼称があった。

 

→ガッディ

現地に残っている伝承では、この王国 “チャンバ王国” はAD500年頃, Meru Varmanが最初に興したとされる。

ヒマーチャル

バルマウル(Bharmour)

都バルマウルは、かつてブラフマプル(Brahmapura)と呼ばれていたという。

ある伝説によると、現ウッタラカンド州のガルワール(garhwal)とクマウン(Kumaun)の地に、もともとバルモウル王国というのがあり、そこにおいてブラフマプラという名称が使用されていた。

 

初代Meru Varmanは建国時、首都をブラフマプラという名に、国名をバルモウルにしたが、後にその都そのものをバルモウルと呼ぶ様になったという。

 

 

また別の地元の伝説によると、ブラフマプラの土地はメルー(Meru Varman)の時代よりも古く、ここはかつてブラフマニという女性の庭であった。彼女には一人息子がいて、その息子はペットのイワシャコ(鳥)を大事にしていた。

 

しかしある日そのイワシャコは農民によって殺されてしまい、息子はこのことにショックを受け死亡。悲しみに襲われたブラフマニも、自らを生き埋めに。

 

これら亡くなった3つの魂は人々をひどく悩ませ始めたため、人々はブラフマニを女神の地位に引き上げ寺院を建設した。

 

この女神ブラフマニにちなんで、ここの土地はブラフマプラと呼ばれるようになったという。

民族, インド

チャンバー王族とアヨーディヤ

Meru Varmanは、およそ1000km離れた聖地アヨーディヤの出だという。

アヨーディヤ(Ayodhya)は聖典「ラーマーヤナ」の王子ラーマの生誕地であり、元々コーサラ国の首都であった。

 

ちなみにインドの武士階級いわゆるクシャトリヤは、大きくSuryavamsha「日種」と、Chandravamsha「月種」に分かれる。

ラーマ王子の家系はSuryavamshaである。

 

Maru Varman はラーマの三男クシュ(Khushu)の息子だと言われ、アヨーディヤを出た後は、最初はカシミールへ向かっていた。

なぜアヨーディヤを出たのか、なぜカシミールへ向かったのか、記録には残っていないとされているが、旅路の中で結果落ち着いたところがこのPir-Panjal山脈とDhauladhar山脈の間にあった、後のブラモウルであった。

ブラモウルは何代かに渡ってチャンバエリアの統治の中心だった(約400年間)が、その後AD920年、当時の王Sahir Varman

が娘のチャンパバティにちなんで、ブラモウルから現在のチャンバへ遷都。

その後も中世のイスラーム王朝ムガル帝国やネパール系グルカ兵などからの侵略もあったが最終的に1846年イギリスの統治下に入り、1000年に続く統治が終わる。

 

 

その後この土地は、インド独立とともにインド共和国に併合された。

 

参照URL:

http://ranuh-kothi.blogspot.com/p/history.html?m=1

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Bharmour

アヨーディヤ
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